子どもが塾に通い始めたら読む本
みなさま、工藤勇一氏をご存じでしょうか。2018年、千代田区立麹町中学校の校長をやっておられたときに、「宿題を出さない」、「中間・期末テストの全廃」、「固定担任制の廃止」などをつぎつぎに打ち出し、マスコミにもセンセーショナルに喧伝され、一躍有名人になりました。
その工藤校長が出された本の紹介になります。
今頃なんだ?ということなのですが、長女がサピックスに通い始め、親も子どもも時間が足りなくて、本当に必要なことを自分で見極めないと頭がパニックになる。そんなときだからこそ、読むと考えさせられることがいっぱいあります。
本のまとめ
本で言っていることというのは、主に3つです。
- 「目的と手段を取り違えない」
- 「取り違えると上位目標が変わってきちゃう」
- 「取り違えないようにするには、どうして?何のため?の意識と自律教育」
これだけ押さえておけば、本を読まなくてもいいかもしれません(笑)。
例えばということで宿題を取り上げてみましょう。先生が児童に宿題を課すことは、何かの目的があって、それを満足するためには、宿題という手段が良いと判断するから、宿題を課すわけです。
しかし、子どもはその宿題の目的(めあて)を理解していません。そんなとき、子どもは宿題をこなすだけになってしまいます。新しく習った漢字を10回書く宿題で、へんやつくりだけ先に10個書いて、戻って残りを埋めるようなことをしてしまいます。皆さんも子どもの頃、やったことありませんか?
解答を写して課題を終わらせてしまう
サピックスに通っている長女が国語Bの長文読解の課題をやった後、解答を見るわけです。そして、その解答を丸々写して、「ハイ終わり」と言うのです。
これって先ほどの話に似ていませんか?国語Bの長文読解をやる目的は何でしょうか?間違っていたら、その模範解答を写して終わりでいいのでしょうか?
目的が、長文読解の課題を通して、ある文章の言わんとしているところを自分なりの言葉で伝え直せるようにすること、だったらどうでしょうか。
むしろ、課題を解き終わってからが本番で、模範解答と自分の答えで何が違って、どうして違うのか、これを検討するかしないかで、5年生、6年生になったとき(長女はいま新4年生です汗)に大きく差が出てくるように思います。
私はよく、サッカーのたとえ話をします。
小学生の男の子はサッカーの練習をしています。週に3回くらいやってます。夢はサッカー選手です。でも、同じようにみんなサッカーの練習をしているのに、サッカー選手になれる人となれない人がいます。この違いは何なのか?
長女は足が速いとか、背が高いとか言います。
しかし、サッカー選手にはメッシのように身長が低い人もいるから、身体能力ではないわけです。そうではなく、
練習や課題に「こだわり」を持って取り組むこと
- 狙って10分以内に課題を終わらせる
- 狙って全問正解するように見直しの精度をあげていく
- 文字をきれいに書く。そこまできれいでなくても〇だけど。
そういう「こだわり」の積み重ねを自分で考えて、出来るようになってくれると親としてはありがたいですね。
それが、工藤校長のいう自律教育なのではないでしょうか。
本田選手は、練習ノートをつけていました。そして、設定した目標をノートに書き、それに向かって必要なことを実践していく、という過程をとても大切にしていました。
目標達成には、何が足りなくて何をしたらいいのかと常に考えて練習をしていたといいます。練習ノートには、練習内容や食事内容を毎日記録していました。目標を立て、日々自分を振り返り、何が必要かを考えて実践し続けた結果、目標を達成できたのだと思います。
なお、彼はスピード不足だと言われ、ユースの昇格試験に落ちたりと苦難の時代もあったわけで、決して身体能力だけで云々ということではないのです。
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